山田 義彦

2022.05.11

ヒストリー

2021-22シーズンはPIST6に6度参戦し、全てで決勝進出の上、2度の頂点。山田義彦選手は開幕初年度、ファンに大きなインパクトを残した選手の一人である。5倍を超える大ギアでレースに挑み、ときに「元気玉」ポーズといったコミカルな一面で多くの人々を魅せてきた山田選手だが、筋無力症という病を抱えながら競技と向き合っている。これまでの選手人生やPIST6への思いに迫った。

In1986.

  • 中高は陸上少年、「軍隊」のような練習に耐え

    1986年、埼玉県出身で幼い頃からスポーツに親しんだ。小学校では少年団に所属して野球やサッカーに汗を流し、中学生になるとお兄さんがやっていた陸上競技を始める。「団体競技と違って、陸上は手柄を一人占めできますが、一方で責任も自分次第。でもそっちの方が向いているかなと(笑)」。

    当初は短距離と長距離の両方にトライしていたが、中学校の途中からは何本やっても練習が楽しいと感じる短距離に絞り腕を磨いた。中高いずれも全国大会に出場。ただ、進学した飯能南高等学校時代の練習は年2、3回の休みで、「軍隊みたい」と表現するほどは厳しいものだった。「当時はただひたすら走っていました。筋肉もついてガッチリ体型になり、『ドーピングをしているのではないか』と周囲に言われるほど変化したのが、印象に残っています」。

    中高の6年間走り続け、高校卒業時には大学から推薦入学の話も来ていた。どの進路を選ぶか考えた時、頭に浮かんだのが競輪選手だった。「大学で陸上を4年間頑張った先に思いつくのは会社員か体育教師。でも競輪選手は、自分がやった分の対価としてお金がもらえるという話に『夢』を感じました。ちなみに先生と話している際、パッと思いついたんですけどね」。「競輪ドリーム」をつかむため、輪界入りを決意した。

In2007.

  • 選手デビューも、半年後から闘病生活

    日本競輪学校(現:日本競輪選手養成所)を卒業した後、2007年に埼玉県の西武園競輪場でデビュー。「マジで緊張していて、ガチガチでした」と振り返る初陣は1着を飾り、選手人生は好スタートを切ったように見えた。しかし半年後、胸腺腫(きょうせんしゅ)が見つかり最初の入院。「『看護師さんと出会って結婚できるのでは』とポジティブに入院を捉え、深刻には考えていませんでした」と、前向きに回復への日々を過ごした。

    胸腺腫を患うと合併症として、手足を動かすと筋肉がすぐに疲れて力が入らなくなる筋無力症を発症する場合がある。腫ようを摘出して1カ月の入院で練習を再開したが、首に力が入らなくなり、頭を支えるのも難しくなるような状態。筋無力症の症状が表れると、8カ月に渡る長期離脱を余儀なくされた。

    その後、バンクに復帰できたのは2009年だった。「久々の復帰で今まで通り走れるか不安もありましたが、戻って来ることができて幸せを感じました」。カムバックを果たして、意識が変わった点があるという。「今も治療をしながらの日々なので、競技面と生活面いずれも、自分で考えて動いています。競技では『正攻法ではやらないぞ』とあの手この手を使い、生活では体調管理によりシビアになりました」。常に病気と向き合い、体と相談する姿があった。

In2021.

  • 「スピードを上げたい」その思いが結果に直結

    PIST6には2021年10月のジャパンヒーローズラウンド2が初出場となった。この時は決勝2着に終わるも、参戦するとトップ3入りをキープし、4度目の出場となった2022年1月のシーズンゼロラウンド5、同年2月のラウンド7ではいずれも完全優勝。ラウンド10こそ準優勝だったが、決勝で敗れるまで11連勝をマークした。スタートから結果を残せた理由について、自身をこう分析する。

    「PIST6が始まる前から、カーボンの機材を使った練習をしていました。もともとスピードを上げたいという気持ちがあり、250の講習会にも積極的に参加していましたね。特に自分は不器用なところもあって『場数だけは踏んでおきたい』と考えていたのもありました。なので、PSIT6に参加している他の選手と比べると少しはアドバンテージがあるかなと思います」

    常に5倍を超える大ギアの選択も理由がある。「ギアが重いと、当然足にはダメージが来ます。でも一番重いギアを踏んで『次に繋げるぞ』と、より早くなるための試練だと思えば、それは重い方がいいですよね」。講習会に参加し始めた当初のタイムトライアルのタイムは10秒8程度だったが、現在のベストは10秒113で、今後は9秒台をターゲットに据える。

    同じ病の子を持つ家族招待「わずかでも励みになれば」

    PIST6については、「演出のおかげで気持ちが高ぶり、お客さんにも手を振れるので、一体感を感じています」と話す。自身も「元気が欲しい」時にマンガ「ドラゴンボール」でお馴染みの「元気玉」ポーズを披露するなど、会場を沸かせてくれている。そしてこれまで何度か、筋無力症を患っている子どものいる家族をPIST6へと招待した。

    「自分は大人になってから、筋無力症を発症しましたが。その子はもっと若いうちから闘病しています。何よりも筋無力症の子どもを育てるご両親の大変さや、どんな気持ちなのかと考えました。だからこそ、お子さんはもちろん、家族みんなで演出やレースを楽しんで欲しくて。またそこで自分が一生懸命走る姿が、わずかでも励みになってくれればという気持ちでした」

    病とともに生きながら、圧倒の走りを見せる山田選手。全てを出し切り、激走するさまは、これからも多くの人々を魅了してくれるはずだ。