青野 将大

2022.06.08

ヒストリー

初優勝の瞬間は慣れないガッツポーズを見せて、喜びをかみしめた。青野将大選手は2022年4月23日、24日に行われた「ファーストクォーター」ラウンド4でPIST6において初めて表彰台の頂点。学生時代から数々のタイトルを手にし、一時は自転車競技を離れたものの、再び競輪選手としてバンクを激走する。これまでの選手人生やPIST6への思いに迫った。

In 1994.

  • 10代から全国の舞台で活躍

    1994年、香川県生まれ。自転車競技は先に始めていた兄の影響を受けて、小学校2年生から取り組んだ。地元には小中学生向けのクラブチームが存在し、ロードレースを中心にチャレンジ。当初は風を切って走ることに快感を感じ、時が流れるに連れて自転車競技が日々の日常となっていった。香川県立高松工芸高校に進学した高校時代は全国高校総体(インターハイ)のスクラッチで優勝をするなど、10代から全国の舞台で活躍した。 進学した法政大学でも全国のタイトルを獲得。大学3年生の2015年にはインカレでチームパーシュート、翌年はスクラッチで日本一に輝く。キャプテンも務めた4年間で印象に残るのは、競技はもちろんのこと寮生活だという。「1年生は掃除や先輩の自転車の準備、加えて朝と夜のご飯も作るので、なかなか大変でしたね」。料理は八宝菜や麻婆豆腐などをつくって振る舞った。「一気に調理できて、簡単に取り分けられる中華料理が得意のレパートリーでした」。

In 2017.

  • 銀行員から選手へ「俺、自転車好きだったんだな」

    2017年3月に法政大学を卒業し、銀行員になる道を選んだ。「大学卒業後に自転車でどうやって食べていこうかと考えたときに、ロードレースに挑む実業団か、競輪選手と大きく2つの道がありました。そんな中、僕のようなトラックの中距離選手は、両方とも本職ではなく大学で競技を引退する選手が多く、僕も『大学で一区切り』と会社員になりました」。最初の配属は茨城県取手市にある支店、その後は千葉県柏市の支店で、スーツを着て法人営業に回った。 小学生から大学生まで続けてきた自転車競技をいざ離れてみると、どこか寂しさも感じていた。「自転車がない生活は十何年の中で初めて。乗らなくなってから改めて自転車が好きだったんだなと気づきました」。キャリアチェンジを決意し、勤めていた銀行を退職すると、1年間は日本競輪選手養成所の試験に向けて練習を積んで合格。2020年5月には競輪選手としてのデビューを飾った。

In 2022.

  • これからも「自然体」で走り続ける

    学生時代同様に、自転車が生活の全てという日々を過ごしながら、競輪選手としての経験値を積み上げる。PIST6には2021年の開幕直後の10月に行われた「JAPAN HEROES」ラウンド2から出場。この時は決勝に進出して5位となるも、その後は準決勝の壁に阻まれていた。そして6度目の参戦だった「ファーストクォーター」ラウンド4で初優勝をつかむ。初Vもさることながら、この時の準決勝では師匠である小原太樹選手との「師弟対決」が実現した。結果は青野選手が2着、小原選手が4着と師匠に先着した。 「本当は先行や捲りで、勝敗問わず自分の走りを見せたかったのですが、1枠スタートということもあり終盤の争いの中で、イン側に詰まって前に出られない状況になりました。自らの力を出し切る姿を師匠に示したかったです」。ともに汗を流す師匠について「練習熱心でストイック」と表現する。「僕含めて4人の弟子がいますが、師匠の練習量は半端ないので、さすがに『負けていられない』とみんなで切磋琢磨しています」。 「差されてもいいから積極的に。いつも通り出し切る」と心に決めて決勝に臨み、見事につかんだ頂点。PIST6は競技経験者であるアドバンテージも生かし、1着を取ることを第一にレースに挑む。優勝者がサインするディスクホイールに名前が入ったが、「これまで通り自然体で走りたいです。しっかり自分の力と走りを見せたいですね」。普段通りの走りで、青野選手は再び頂点を取りにいく。